最寄りのピーチジョン教えな。

普通のことを普通にやっていく幸せに、安心したい。

新妻ポトフに愛。そして冬。

温かい生活。

私はこれを、ずっと夢見ている。温かい生活とは、自分の言葉がお金になって、豊かな自然の中で、好きな人と暮らしてゆけることだ。ついでに犬か猫も一緒だと尚良い。

こんなことをわざわざ書いたのには理由がある。実は、割と言霊を信じる方だ。今まで、言葉に出したことは、全て叶ってきた。自分は運が良いのかもしれない。いや、良いんだと思う。それならそれで。そのまま、運の良いまま、ずぅっと生きてゆけるだろう。そうならない人もいるが、そうなる人もいる。私は、そうなる方の人だと思う。何となく。

これから仲良くなる人に会うと嬉しい。今まで散々知ってきたはずの自分をもっと知ることになる。それは、今までの自分でもあり、これまでの自分とは違う他人の自分でもある。

こういうことを考えると。

北風が吹いている。もうマフラを巻いた。リップクリームを塗った唇に、マフラーの繊維がくっついて、うっとおしい。それもなんか良いかも。あ、でも、よくないかも。


ナイトブラに願う。


今日人生で初めてHカップのブラジャーを見た。触った。


その大きさたるや、私の両乳が、片乳分に収まる程であった。


あの迫り来るとも言えよう迫力により、持つ者が若ければ、大抵のことは許されるだろう、と思う。


私は祈る。今日から真剣に。


今日食べたもののすべての栄養が、乳にいきますように。


そして大好きなあの人と結ばれますように。


すべて全力でそう思う秋の夜長である。



スピリチュアルおばさん誕生。

スピリチュアルへの目覚めは、おばさんへの第一歩だと思う。

 

私は昔から、霊的なものへの疑念を強く持っていたタイプだった。例えば、スピリチュアルパワーで、死人と交信をする霊能者の番組を見ても、やらせだと思っていたし、電車内で、両腕にこれでもか、というほどのパワーストーンを光らせるマダムを見かける度に、その効果を疑問視していた。そのくらい、私の中でスピリチュアルは、もはや、ある種エンターテイメントとして捉えていた。

 

それが、ここへ来て。ここへ来て。

 

とにかく神仏に触れたい。

 

暇さえあれば、写経アプリで写経をし、都内の寺、神社を調べ、遂には瀬戸内寂聴の本さえ手に入れた。とにかく以前までの私が懐疑心いっぱいの眼差しを向けていたそれらに、触れたくて、触れたくて、たまらないのだ。たまらないのだ。何故、こんなことになったのか。

 

要因として考えられることの第一には、22歳というこの微妙な年齢がある。これまでは、組織という殻に守られてきたように思う。何をしても、家族や、学校という組織に属していて、責任の所在が所属組織にあった。しかし、この22歳という年齢は、責任の所在が自分自身に帰属し始める。そうなってくると、自分だけの悩みごとが増える。

 

「話を聞いてほしいの。」「悩み事があってつらいの。」

 

俯きがちに、眦に涙をためて、一言つぶやけば、誰だって、相談に乗ってくれた少女時代は、いつまでも続かない。そんな現実に、ぶちのめされる。お前の悩みは、お前で解決しろ、と第三者の厳しい眼が言っている…気がする。とにかく、自分のことには自分が責任をもたなければならない。しかし、それは、しんどい。すごくカロリーを消費するし、なによりしんどいのだ。誰かに言いたい、何かに寄りかかりたい。

 

そんな時に、割と気軽に、そして寛大に受け止めてくれるのが、神仏である。お寺は逃げない、寂聴はいつでも枕元に、写経をしている時は、嫌なことを考えずに時間が過ぎるのだ。重ねた歳の分、人には言えないしんどい案件が蓄積していく。それらを、すべて一人で抱えないために、スピリチュアルは存在するのではないだろうか。おばちゃんが、スピリチュアルに飛びつく気持ちは、本能に近い。そうでなければ、つらいのだ。そのつらさを、理解し、やわらげ、そして救い出してくれそうな荘厳な雰囲気が、スピリチュアルにはある。

さて、今日も般若心境CDを流しながら眠りにつこうっと。心の安寧がそこにある。

構って、察して、抱きしめてトゥナイト。


人間関係の核はやはりコミュニケーションだ。


「言いたいことがあったら言え。」

「言わなくても分かり合える関係。」


察し合う関係は確かに憧れだが、そこに至るまでには、執拗なまでに徹底させるというプロセスが存在すべきだと思う。


でも言いたいことを言うのは怖い。否定されるのが怖いから。結局のところ、自分がいやな気持ちになりたくない、というのがどんな人にとっても至極の願いだろう。


人の気持ちを考えられる人になりたいが、自分の気持ちに嘘をつくと辛い。


ではどうやってバランスをとるべきか。謙虚であることは難しい。今後の課題である。何をどのくらいどんな感じで伝えればいいのでしょう。


非通知のテレパシー。


「けん玉がツムツムに変わっただけだろ。」

弟が言った。昨今、テレビを見ていると、本当にスマートフォンのゲームのコマーシャルばかりで飽き飽きする。昔はこんなもの(悪い意味で)なかった、若い人はこんなものを……と言ってもみたくなるものだが。というか私もスマホゲーム、否定派。でも確かに、けん玉もツムツムも変わりないではないか。やっても意味のないこと、ただ時間が過ぎるだけのことだ。時代の変化と共に、良くなることもあれば悪くなることもある。今日は公衆電話から電話が掛かってきた。嬉しい非通知設定。ほんの何秒間で、通話が断絶される。いかに濃密な電波通信を行えるか、に勝負が懸かっている。