最寄りのピーチジョン教えな。

普通のことを普通にやっていく幸せに、安心したい。

スピカ、輝く幸せはどこなの。

 

「綺麗です。」と明らかに自分より綺麗な人に言われた。どう考えても下に見ているからこその発言だと思う。だけども私は私自身の名誉のために喜ぶフリをするしかなかったし、そんな無意識の見下しに屈するほど弱い女でありたくなかった。だけども実際は言われた瞬間よりも後から振り返ったときにじわじわといやな気持ちになった。一日中履いた靴下をまた次の日も履かないといけないときみたいにいやな気持ちだった。

 

「婚約しました。」と後輩に言われた。「婚約しました。」と先輩にも言われた。「婚約しました。」と同僚にも言われた。「婚約しました。」と大学時代の友人にも言われた。もう私には報告してくれなくて大丈夫だよ。とても間に合っているから。もしも私が婚約したらこんなにもみんなに教え、伝えてしまうのだろうか。「ご報告」というベールに包まれた乱暴な凶器をこれ見よがしに振りかざされても私は泣けない。自分の幸せは自分が決めるから。だけどもやっぱり私は誰からも想われていない自分のことを思うと悲しく、一生このまま誰にも想われず年を取るのかと思うと心臓が痛かった。どんな形であれ誰かに想われているということは、自分の支えになる。支えというのは自己完結することができないと思う。だけど他人にどうにかしてほしいなんてお願いは叶いづらい。

 

「次の予定があるから。」と好きな人に言われた。休みの日の前の夜のことだった。私の方がずっと前から予約してたのに。後から来たもっといい誘いに負けたんだね。全く会えないよりは少しでも会えた方が嬉しいのに、蔑ろにされてとてもショックだった。自分の価値が全くないように感じた。やはり見えないところで恋愛バトルは始まっている。みんな知らないところでバチェラーのような駆け引きをして恋愛を成就させているということはもう嫌というほど理解している。だけれども私は「帰りたくない。」と言えず、そんな自分のことをまた嫌いになった。急いで原付に乗って、目にあたる風のせいにして涙を空中に散らした。

 

ここのところ、落ち着いていたのに引き寄せがしたいと思うのは、色々な欲望が自分のなかに渦巻いているからだろうか。誰にも認められてこなかったから、肥大化した自尊心は自分でも感じるほどに邪魔くさい。もう、幸せにもなりたくないのかも。幸せがわからない。私はずっと好きな人と両想いになりたいだけ。だけどそうなったこともない。私は自分の心がどうなれば幸せなのか考えてみた。自分の持ち物に満足できる日は来るんだろうか。いつまでも誰かのことがキラキラしてみえる。

 

もし本当に大切にしているものが何であったとしても今日は、目の前の私のことを見てほしかったの。もうそろそろ、手に入れてもいいよ、私。もうそろろそ独り占めさせてよ、幸せ。

 

 

 

 

 

火曜日、燃えるノートルダム。

青いホッチキスで世界を閉じた。ノートルダムだって燃えている火曜日。人々の毎日は呆気なく。前髪が目にかかって邪魔だから何度も顔を左に振って視界を開こうとしたんだけど、明日のピントはズレたままだった。この人生の完成を思う時、思ってしまった。わたし誰かに愛されてるかな。きっと大丈夫って言うんなら今すぐカステラ買ってきて。奥歯に挟まったザラメを噛み潰すように今を消耗してるから。目が覚めた頃に残る甘さだけにとろけて生きてくの。

喉元を強く噛んだのネ。

 

今日はどうしてもチョコレート食べる。誰がなんと言おうとわたしは甘いチョコレートを数種類を食べる。喉の上が擦れたように痛くなるまで。

 

あの時なんて言ったら正解がわからなかったの。多分わたしはずっとわからないのね。けど、多分わかってしまったのは好きときめきキス。

 

小さい頃からずっと持っているオルゴール付きのアクセサリーボックス。ここにわたしのキラキラの全てを隠したのだ。

 

だけどもバレちゃった。どうせそうなら、そうやって生きていくしかないよね。

 

起きたことは全て意味がある。わたしは昔から運がいい。アッと驚くことも運の導きなのだ。そうなるようき生きていく。

 

あなたのこと、好きです。

 

 

それでイイならこっちで良くない?

日、何かしらの選択をして生きている。私もそうだし、きっとあなたもそう。


だけどさ、なんで、それを選ぶんだろう。自分の選択には割と自信を持てるけど他の人の選んだものに対して、それを選ぶならこっちのが良くない?と思うことが多い。


何かを選ぶのに強い理由がある場合もあるだろうけど、案外フィーリングってあるのかもしれない。フィーリングで選んでいる場合は、他の人から見たらなんじゃそりゃ的なセレクトになっている場合が多い気がします。




最近痛ましい事件が多くてしんどい。鬼の所業としか考えられないようなこと、人間がやっている。


思うに。


もう限界が来てるんじゃないかな。世界の人間たちに。たぶんもう無理なところまで来ちゃってる。だから自然が人間を淘汰しようとしている。その結果がコレ。人間は増えすぎた。


だからってこの波に乗って静かに淘汰されたならきっと楽だろうけど、そうはならないんだろうな。波のない毎日がただ過ぎていくだけなの。


幸せは明日への不安がないこと。そういう日がいつか来るのだろうか。


私は貝に…なりたい。



ずっと寂しいなんて、もっと寂しいモン。



ずっとさみしい。わたしは結構ずっとさみしい。たのしいの後が耐えきれない。こんなにたのしいを一緒に過ごしたあなたでも、いつかわたしの世界の人ではなくなって、そうやって毎日生きていく。それが、ちょっぴり、いや、割とすごくこわい。


中学の時に四六時中メールをして授業中も手紙交換してたあの子も、高校の時、毎日放課後に寄り道してずっと一緒に笑っていたあの子も、あんなに大切にキスをしたあの子もいまはどこにいて何をしてどうやって笑っているのか知らない。知らないというか、気にも止めない。世界からいない人になる。



わたしとあの子はたしかにその時その場所で世界一たのしいを共感したのに。それを思い出さない日の方が圧倒的に多い。当たり前。あの子も、あの子だけじゃないわたしもまたその時のたのしいを見つけて、生きていく。繰り返し。でも、それが当たり前なのが腑に落ちない。もやもやする。泣けてくる。


そうするとたのしければたのしいほど、そのあとがさみしいから、たのしいの上限を下げて、物事との距離を置いて傷つかないよう気をつける。そんなのって、もっとさみしい。友達だからいつでも会えるって、嘘つかないで。


どういうわたしなら、好きなみんながわたしのことをずっと好きでいてくれるんだろう。


仲良しのあなたに、わたしがいない明日があることが、いつまでもわたしを切なくさせる。


わたしがすきなひとが、わたしのことをずっとすきでありますように、願いごとひとつだけ叶えてください。


あの時、すきって言ってくれたね。


強欲でもレリッビー。



自分の夢を叶えてあげたい。全て思い通りにいくように計らってあげたい。あのぬくもりを月に一度味わう。みんなもっと私のことを好きになってほしい。


愛されたい、心から。誰かの心を、強く掴んで離さないようにしたい。人生のある地点でその人が私をふと思い出した時、魅力的な人だったと、振り返ってほしい。


全部思い通りになれ。ビジョンを細かく描くから。その通りに。


私は私の今が、あってほしい今であるように常に願っている。


 

背筋伸ばして3キロ先を見て歩く。



ちょっと寂しくないと、悲しくないと、よいものが作れない。この感覚は割と昔からある。


満たされたいと思う気持ちが、そのパワーがないと肩透かしになる。


今はどうだろう。健康で文化的な生活は送れているだろうか。それって本当に健康で文化的なんだろうか。


何を以って健康で、どうしていけば文化的なんだろう。


最近槇原敬之のどんなときもを聞いて、ひどく心動かされた。こんな風に自分の気持ちの全てを表現できたら幸せだろうな。しかもそのきもちを多くの人がわかってくれるなんて。


ゆっくり色々と考える時間が欲しい。


大好きな夏に手を掴まれながらも、ほんのちょっと追いかけきれない秋が、私を困らせる。